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aboutカンカラ三線
〜 彼は、いかにしてカンカラ三線ひちゃーになったか
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2001年春、彼は映画『ナビィの恋』を観た。
あろうことか、スクリーンの人物に恋をした。
恵達おじぃに一目惚れしてしまったのさ。
そばにいるUAのだんながうらやましかった。
何回も観ているうちに、彼は福之助になっていた。
(そんな錯覚に陥ったひと、いない?)
沖縄の民謡はそれまでも聞いたことがあったし、
ネーネーズのCDも持っていた。
でも、あのかっこいいおじぃから受けた衝撃は
想像以上に大きかったんだな。
「三線を弾こう!」
沖縄には一度も行ったこともないし、
行く予定もなかった彼は、通
販サイトをのぞいた。
三線も六線も、すぐに出てきた。胸が高鳴った。
そこで初めて目にしたのがカンカラ三線だった。
価格は1万円に満たない。
「これはオモチャ?小道具?お土産品?」
みょうに気になった。
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|かんからさんしん【カンカラ三線】戦前の沖縄では子どもたちによって|
|作られていた。クバの葉のかたい部分を棹に、胴は空き缶、弦は麻の繊|
|維を撚った。/終戦直後、カンカラ三線は沖縄の捕虜収容所で甦る。当|
|時の金武村屋嘉の収容所では、棹は野戦ベッドの廃材、胴の部分は米軍|
|支給の缶詰めの空き缶、弦はパラシュートの紐などを使った。収容所内|
|で、あるいは基地の整備に狩り出される輸送用トラックの荷台で、人々|
|はカンカラ三線を弾き、唄って励ましあった。屋嘉の収容所で唄われた|
|「屋嘉節」は敗戦直後の名作である。 |
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(広辞苑第四版には、あろうことか載っていないんだ)
カンカラ三線で検索を開始すると、
たいていこんな記述がされていた。……知らなかった。
たしかにニシキヘビ皮の三線は格好いい。
「ちゅらさん」では堺正章が、
そして比嘉栄昇が三線を弾いていた。欲しい!
でも、「まず、カンカラ三線を買うんだ」
「いや、皮の三線だ」という葛藤の日々が続いたある日。
『ビギンの島唄オモトタケオ』を手に取ったんだ。
かくして彼は、カンカラーになった、というわけ。
(この「彼」って、きみのことじゃない?)
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